2010年

6月

19日

広島の人々

昨日は広島に行ってきた。

 

~平和を踊る 平和を灯す~の新しいチラシが出来たので、

それを持って、友人知人を訪ねてまわらせていただいた。

 

どなたも親切、好意的で、チラシも配りたいとか案内したいとかおっしゃってくださり、

そして私の拙いお話も聞いてくださり、本当に感謝です。

 

本当にありがとうございます。

こうして、Face to Face でいろんな方に出会えるということはとても楽しい。

BIODANZAのこともどういうものか説明しないと文章だけではなかなか伝わらないので

お話させていただくことはとても嬉しい。

 

え~、踊りなんか絶対イヤだ・・と言う人にも

「そんなことないよ体験せんとわからんのじゃん、おいで!」

みたいな無理やりなトークにも笑いながら興味をもってくださり嬉しい。

 

私はもともと広島の生まれで、母が亡くなる5歳まで広島に住んでいて

その5歳までの断片的な記憶があって、そこには私の原風景がある。

 

長屋のような場所でおじちゃんやらおばちゃんたちがたくさんいて

そのなかで本当にのびのび自由に遊んでいた。

 

その頃、あらゆるものに好奇心いっぱいだった。

あるとき薪割りのための斧があって、

どうやって斧は使うのか興味があって使ってみて手を切って思い切り泣いた。

母に背負われて病院に行った。その母の背中を覚えている。

 

長屋の前で、ちょっと飲みながら夕涼みしていたおじちゃんに、

『お月さんが欲しい~!取って!』って言ったら『よっしゃ!』って言って

はしごで屋根の上に登り、『わりーな、やっぱり取れんわ!』

っておじちゃんが言った。

ステテコすがたの上半身はだかのおじちゃんだったな。

 

コロという犬にあるとき追いかけられた。

怖くて怖くて逃げるのだけど、その犬が追いかけてくるので

延々泣きながら走っていて、

『周りの大人が、走るから追っかけてくるんじゃ、止まれ~!』

とか言ってくれるけどぜんぜん止まれなくて、どれだけ走ったかどれほど怖かったか・・・

 

あの頃、けっして叱られず嫌な思いをしたことがない。

本当に「こども」を生きていたなぁと思う。

 

母が死んでのち、あるところへ引き取られ、その場所が辛くて

わたしの「こども」はどこかに行ってしまった。

そして最近またあの頃の「こども」が甦り始めた。

 

娘には「幼児還り」しているといわれるが、

私の質は、あの幼い頃の何にもとらわれず、あらゆるものに好奇心をもち

楽しく天衣無縫だった自分だなと思う。

 

母が死んだ後のつらい時期のころ、広島という土地は私にとって特別だった。

小学生のころ、広島の方に向かって泣いていたのを思い出す。

 

こうしてこのイベントのおかげで広島に足を運ぶとき、そのころの広島に帰りたいと思っていた女の子が喜んでいるのかもしれないな、と思う。